マイペースチャリダーが行く

ちょうど古稀を迎えた理系チャリダーのブログです。

「自転車の車輪の転がり抵抗について-1」はこちら

バーチャルライドのイベント参加の教訓

 コロナ禍のため、サイクリングイベントもバーチャルライドでエントリー出来るイベントが増えてきた。しかしながら、これまで私は3回参加したが、当初はあまり満足する結果が得られなかった。そこで、本記事では、私の3回の経験を反省を含めてお伝えすることで、何らかの参考になればと思う。

 

(1)ハワイ・ライド・オブ・センチェリー(2020/10/9)

 このイベントは、2020年9月から10月にかけて開催されたイベントで、リアルライドやバーチャルライドの走行ログファイルを主催者のグローバルライドに送付することで完走証を振りだしてもらうイベントだ。せっかくハワイの名を冠したイベントなので、私はホノルルセンチェリーライド100マイルの往路コース(50マイル)をバーチャルライドで走ることにして、エントリーした。

 コース作成はSTRAVAのルート作成機能を利用した。この時作成のコースは、途中のエイドポイントSandy Beechの一部ルート(~2km)を割愛したため、全走行距離は80kmにわずかに未達の78kmだったが、この時はあまり気にしなかった。走行アプリはTACX Desktop Appだ。このTACX Desktop Appでは、外部入力した走行ルートデータに基づいて走行できる。これまで、ヤビツ峠などをインドアサイクリングするのに利用した経験があるので、ここでも利用した。

 実際に走行した結果は、2時間44分で平均速度28.6km/hで、我ながらなかなかの好成績だ。ところが、これらのリザルトをグローバルライドに送付したところ、送付されてきた完走証はなんと40km!! このイベントは目標距離が40km、80km、120km、160kmと区分されていたのだが、実走距離78kmは目標距離80km未達のため40km完走証となってしまったようだ。

 教訓1:完走の条件は良く確認するべし!

 

走行概要(2020/10/9、STRAVA)

 

走行時の画面(2020/10/9、TACX Desktop App)
スタートから1時間走行後の画面写真。TACX Desktop Appは、衛星写真ルート上を走行する。

 

走行距離40kmのトホホのデジタル完走証

 

(2)Virtual Cape Town Tour(2021/3/10~14)

 既に2018年3月にケープタウンサイクルツアーに参加したことは報告した。それから3年後の2021年3月のケープタウンサイクルツアーはバーチャルライドになったとの情報を得たので、コロナ禍で参加可能な貴重なイベントとして参加することにした。

 Virtual Cape Town Tourで用いる走行アプリは、FulGazというオーストラリア製アプリだが、その立ち上げに苦労した。サイクルトレーナーに接続しているPCは、以前に報告したNEC製LavieGタイプMだが、これだとインストール出来るものの実動作しない。そこで、私所有の一番ハイスペックなDynaBook RZ83に入れ替えてみたところ、実動作することが分かったので、ケープタウンサイクルツアーはDynaBook RZ83を利用した。どうもFulGazが実動作するには、ハイスペックPCを必要とするようだ。

 Virtual Cape Town Tourは3ステージに分かれていて、それぞれ別の日に走ることが出来る。そのため、それぞれ別の日に走行したところ、3ステージ目を完走直後、FulGazアプリがクラッシュしてしまい、走行データを送信することが出来なかった。したがって、主催者に送信できた走行記録は1ステージと2ステージだけで、残念ながら公式には完走とはならなかった。しかし、送信前にFulGazアプリ画面を撮影したので、3ステージの走行記録も含めて自主的にまとめた走行記録を以下に示す。

 教訓2:信頼性のあるPCとアプリを使うべし!

 

走行中のFulGazの画面
FulGazは実際の走行ビデオを見ながら走ることが可能だ。写真は3ステージのチャップマンピーク付近を走行している際の写真だ。

 

3ステージ目完走直後のFulGazの画面
3ステージ目は見事に完走したが、この後のアップロード時にFulGazアプリがクラッシュ!

 

公式サイトでのリザルト
ステージ1と2のみの結果だけが表示され、3ステージ目は未登録なため、残念ながら完走とならなかった。なお3行目は、3年前に参加したリアルライドのCapeTownCycleTourの結果だ。

 

自主的な記録のまとめ
3ステージを3日に分けて走行したため、3年前のリアルライドよりも走行時間が50分程度短縮できた。

 

(3)ホノルル・センチェリー・チャレンジ(2021/11/14)

 ホノルル・センチェリー・チャレンジは、(1)と同様にグローバルライド主催のイベントだ。今度こそは80kmの完走証を取得すべく、ホノルルセンチェリーライドの100マイルコースの往路ルートを作成した。その走行概要を以下に示す。  今回送付されてきたデジタル完走証は、実走距離80.87kmが記載されていた。主催者は前回の40km、80kmなどの目標距離区分に応じた完走証ではなく、実走距離による完走証とする方式にしたようだ。

 3回目の正直で、念願の80km完走証ゲット!!

 

走行結果の概要(2021/11/14、STRAVA)

 

デジタル完走証は、念願の80kmの完走証!!

「ネオ京」が最高

 最近ZWIFTでオープンした夜の東京を摸した仮想空間「ネオ京(NEOKYO)」が最高に楽しいので、紹介する。アメリカ人が見た夜の東京の良いとこ取りという仮想空間になっている。

 浅草の仲見世、お城と桜とスカイツリー、東京タワーと富士山、ゲームセンター、デコトラ軍団の中を自転車で突っ走ることが出来る。また、以下の画像にはないが、高架の電車と並行して走る道も用意されている。

 現実の東京を知っている自分としては、実際には走行できない場所を仮想空間で走るのが、テンションが上がって妙に楽しい。コロナ禍など暗い話題の多い中で、数少ないGood Newsの一つだ。 

 

浅草仲見世

 

お城と桜とスカイツリー

 

東京タワーと富士山

 

ゲームセンター

 

デコトラ軍団


 

自転車の歴史

 私は自転車が好きなこともあって、自転車の歴史にも少なからず興味があった。たまたまひょんなことから、自転車の歴史を人に説明する機会があったので、ちょっと調べてまとめてみたので、このブログでも紹介しようと思う。

 

(1)ハードとしての自転車の歴史

 自転車は、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が1818年に発明した「ドライジーネ」が原型とされている。これまで4輪の荷馬車はあったが2輪で走行できるという発想はコロンブスの卵的な発想が必要だったに違いない。ただし、ドライジーネは、まだペダルがなく地面をキックして走る必要があった。

 ペダルが取り付けられた改良型は、「ミショー型」と呼ばれてフランスのピエール・ミショーによって開発され1861年に商業化・発売された。しかし、ペダルが車軸に1対1で取り付けられているため、スピードが出なかった。そこで1870年に、英国のジェームズ・スターレーがスピードを追求した「ペニー・ファージング型」を開発・発売して好評を得た。ところが、ペニー・ファージング型はスピードは出るものの、乗車位置が高いため重心が高く安定性が悪いことや乗員の足が地面につかないこともあり、危険な乗り物だった。

 1885年英国で、現在と同様な後輪チェーン駆動の自転車「ローバー安全型自転車」が発売された。開発者のジョン・ケンプ・スターレーは、ペニー・ファージング型を開発したジェームズ・スターレーの甥だった。その後、空気入りゴムタイヤがジョン・ボイド・ダンロップによって開発され、1894年にフリーホィールが導入されて、様々な改良がなされていく。文献[1]文献[2]

 

(2)サイクリングクラブ設立と中間層への普及

 1870~1880年頃のペニー・ファージング型の拡大期には、各地で様々なサイクリングクラブが設立されて、愛好家同士が集まり、集団でサイクリングするようになった。集団走行により、路面の凹凸に全員で気を配ることで転倒の危険性を低減したり、馬車などに対しても注意を促して事故を抑制できたため、集団で乗るほうが好都合だったのである。このようなサイクリングクラブの一つとして、英国で1878年設立の「サイクリスト・ツーリング・クラブ」(Cyclists' Touring Club)がある。このサイクリングクラブは現在まで継続している。(2016年にCycling UKに改称)文献[3]

 草創期の自転車は、非常に高価なため上流階級の乗り物として注目されたが、自転車は次第に中産階級にも広がっていった。従来は、上流階級の乗馬層と平民階級の歩行者層の2階層だったが、自転車は、それらの中間の第三階層としての乗り物として注目された。また、ローバー安全型自転車が出現すると女性でも安全に走行できるため、女性の行動範囲が広がり、女性の社会進出を促す乗り物として、中間層の若い女性に大いに受け入れられていった。文献[4]文献[5]

 

(3自転車レース

 19世紀後半の自転車草創期の時代は、自転車のショーやレースが自転車の普及に大いに役立った。その後、自転車の普及は、中間層を中心に進んでいく。

 1903年になると、フランスのスポーツ紙「ロト」(現在のレキップ紙)が購読者を増やす目的で、第1回のツール・ド・フランスを開催した。 第1回のツール・ド・フランスは、6ステージ2428kmの過酷な耐久レースであった。ツール・ド・フランス開催により、ロト紙は購読数が25000部から65000部に倍増する。文献[6]文献[7]

 ツール・ド・フランスに続いて、ジロ・デ・イタリアが1909年に、ブエルタ・ア・エスパーニャが1935年に初開催される。ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャは、3大ツールと呼ばれている。文献[8]文献[9]

 

(4)自転車の主な年表

 上述した自転車の歴史を含めた主な年表を以下にまとめておく。

 

参考文献

[1]自転車博物館HP

[2]自転車 Wikipedia

[3]ペニー・ファージング Wikipedia

[4]山田眞實「自転車文化論」"同志社商学"54巻1-2-3号、pp.141 - 167

[5]荒井政治「サイクリング・ブームと自転車工業の興隆 : 19世紀末イギリス」  "關西大學經済論集"37巻5号、pp.553-582

[6]レキップ Wikipedia

[7]ツール・ド・フランス Wikipedia

[8]ジロ・デ・イタリア Wikipedia

[9]ブエルタ・ア・エスパーニャ Wikipedia

佐渡島の観光

 前回のブログ(佐渡自主ロングライド)に続いて、今回は佐渡島の観光について書こうと思う。佐渡島とともに、最初に前泊した新潟も含めて、写真中心に書いてみた。

 

(1)佐渡

 

カーフェリー「おけさ丸」
 新潟と佐渡島の両津を結ぶカーフェリーの船舶には「おけさ丸」と「ときわ丸」があるが、幸か不幸か私たちは行きも帰りも「おけさ丸」だった。

 なお、今回我々は楽天トラベルで宿泊予約して「おけさ海道プラン」割引を適用できたのでお得だった。

 


佐渡汽船カレー
 カーフェリーの食堂で出されているイカキーマカレーだ。カレーはともかく、ご飯がおいしかった。

 

 

 

 

朱鷺ふれあいプラザ
 朱鷺色にペイントされた入口付近の郵便ポストがかわいかった。1日1回の集配時刻が明示されていて、実際に運用されているポストのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

国際佐渡観光ホテル 八幡館からの眺め(真野湾)
 佐渡で最初に宿泊したホテルの部屋からの眺望だ。真野湾を一望に見渡すことが出来て、気持ちよかった。我々の部屋は6階だが、7階の食堂からの眺望はさらに素晴らしかったが、写真を撮るのを忘れてしまった。残念!!

 

キリシタン
 江戸時代にキリシタン120名が処刑されたという塚だ。見せしめとはいえ、何とも残虐なことをしたものだと思う。

 この塚は、相川街道の一部の旧中山道沿いにあり、峠茶屋跡や獄門場跡などとともにひっそりとたたずんでいる。ほとんど通る人はいないが、きれいに整備されているので、誰かが維持管理してくれているようだ。現在は、この塚の下に中山トンネル(県道31号相川佐和田線)が開通しているので、なにげに通り過ぎてしまう旧道の名所だ。

 


たらい舟
 佐渡のたらい舟は、小木みなと港、矢島、宿根木の3カ所で体験可能だ。今回は、景色が良さそうな矢島体験交流館のたらい舟を体験してみた。30分程度だったと思うが、船頭さんとも会話しながらのんびりした雰囲気を味わえた。

 

 

 

 

佐渡金山(宗太夫抗)
 江戸時代に採掘されていた宗太夫坑を見学した。江戸時代に、大がかりな分業組織を整えて金の採掘が行われており、ちょっと意外だった。しかし考えてみると、佐渡金山からの資金調達は江戸幕府の根幹となる重要事業であるので、半端ない力の入れようは当然かもしれない。

 

加茂湖
 佐渡島から新潟に戻るカーフェリーに乗る前日に、両津港近くの吉田屋に宿泊した。  ホテルの部屋の窓から見た夕暮れの加茂湖が美しかった!!

 

(2)新潟編


カトリック新潟教会
これは、新潟観光で最初に訪れたカトリック新潟教会だ。かわいらしい建物だった。

 

 


旧齋藤家別邸
 この別邸は、カトリック新潟教会に近く建物で、新潟の豪商の齋藤喜十郎が建てた別邸。閉館間際のたった15分の見学だったが、中の庭が見事だった。

 

 

新潟グランドホテル
 朝一番のカーフェリーに乗るために、新潟で前泊したホテルだ。ホテルチェーンでなく、地元経営のホテルを応援するのも良いと思ってこのホテルを選んだ。
 万代橋近くのホテルなので、朝食のレストランでは万代橋や信濃川を楽しむことが出来た。ただし、私たちの部屋からは万代橋はおろか信濃川も見えなかったのは、ちょっとがっかりだった。

 

(3)まとめ

今回は、佐渡島観光もいろいろと楽しむことが出来た。以下に印象をまとめておく。

 a)佐渡島は、小さいけど大きい島。少し移動するにも少し時間がかかる。

 b)海岸の風景、金山、たらい舟、魚介類グルメなど、いろいろな魅力がある。

 c)佐渡島は、少しさびれている所もあるものの、まだまだ豊かで頑張っている。

佐渡自主ロングライド

 私がずっと目標としてきた自転車イベントとして、佐渡ロングライドがある。しかし、佐渡ロングライドは、去年(2020年)も今年(2021年)も中止となってしまった。そこで思いついたのが、今回の企画「佐渡自主ロングライド」である。自主的に佐渡ロングライドのコースを走る企画である。

 実際の走行日程は、今年の延期開催予定日だった10月10日に近い10月8日(金)とした。また私は佐渡島が初めてということもあり、妻も同行してちょっぴり観光も楽しんだ。そこで今回のブログでは、佐渡自主ロングライドについて書き、次回は佐渡島の観光について書こうと思う。

 

(1)コース設定について

 自主的に佐渡島一周するとなると、適切なコース設定が重要ポイントとなる。そのため、中止となった佐渡ロングライド2020のコースマップを参考にして、コース設定を行った。できる限りオリジナルのエイドステーション(AS)近くに休憩所を設定し、コースマップはGoogleマップを利用して作成した。

 


コース設定で重要と思われる留意事項を以下に示す。

 

1)スタート/ゴールポイントについて

 今回の自主ロングライドでは、スタート・ゴール地点をオリジナルコースと同じ河原田小学校とすると、ウィークデイの早朝や夕方に小学校付近をうろつく怪しいおじさんになってしまうので、残念ながら取りやめた。その代わり、スタート・ゴール地点を宿泊ホテルとした。宿泊ホテルは、オリジナルコースのスタート地点の川原田小学校に近い「国際佐渡観光ホテル」だ。

 

2)両津BSと昼食について

 オリジナルコースでは両津で昼食することになっているため、自主ロングライドでも、両津で昼食とした。実際の両津BSは、道の駅「あいぽーと佐渡」として、タイム計測地点とした。ただし道の駅では弁当販売がないので、両津街中のコンビニ(ハーティウッズ)でおにぎりを調達して、加茂湖畔で喫食した。

 

3)ASなどの休憩場所について

 自主ロングライドでは、ASの給水サービスの代わりに、なるべく自販機がありそうな商店や公会堂をASとして設定した。

 

(2)リザルト

 以下に、リザルト表とガーミンの走行マップを示す。両津を過ぎた後半は、体力が持たずバテバテだったので、残念ながら全所要時間は12Hを超えてしまった。本来のイベントなら完走させてもらえなかったかもしれないが、そこは自主ロングライドの強みで完走。ラッキー!!

 リザルト表中の平均移動速度(AMV)は、経過時間から休憩などの停止時間を差し引いた移動時間を用いて計算した平均速度であり、実際に移動中の平均速度を示している。

 

 


(3)主なポイント

 印象に残った地点について写真に基づいて紹介したいと思う。

 


佐和田海岸(前日)
 きれいな砂浜の佐和田海岸は、オリジナルコースのスタート・ゴール地点だ。右の写真は、前日に下見したときにちょうど夕日が水平線に沈むのがあまりきれいだったので撮った一枚だ。

 

 

 

スタート地点 国際佐渡観光ホテル前
T=0h0m、D=0km
 当日(2021/10/8)の出発直前に、ホテル前で撮った写真だ。

 

 

 

 

 

オリジナルコース スタート標識
T=0h9m、D=3.32km
 右の写真は、実際のオリジナルコースのスタート・ゴール地点となる標識だ。佐和田海岸沿いの道路に設置されている。

 

 

 

 


Z坂(跳坂)
T=2h52m、D=59.7km
 横から見るとZ字になっているため、通称「Z坂」、正式名称「跳坂」と呼ばれる上り坂だ。ちょっときついが何とか登れた。

 

 

 


大野亀
T=3h17m、D=60.42km
 大野亀は、巨大な一枚岩だ。この岩を前にすると、自分という人間の小ささや無力さを感じてしまう圧倒感がある。

 

 

両津(道の駅あいぽーと佐渡)
T=5h16m、D=104.81km
 両津では、道の駅をチェックポイントとして、トイレ等を使った。ただし、道の駅は弁当販売がないので、両津街中のコンビニ(ハーティウッズ)で調達して、加茂湖畔で喫食した。  この道の駅では、現在開催中のサイクルイベント2つが紹介された。しかし私は、「2兎を追う者1兎も得ず」のことわざ通り、当初の計画通り、この自主ロングライドを継続走行することとした。
  参考までに、現在開催中の2つのサイクルイベントを以下に示す。
 佐渡ロングライド トライヤル
 サドイチ CYCLEBALL(右写真)

 

 

多田海浜公園
T=8h2m、D=141.24km
 多田海浜公園は通りからすこしだけ外れた目立たない小さな公園だ。トイレ休憩にちょうど良い。

 

 

 

佐渡汽船埠頭緑地
T=9h24m、D=164.29km
 「小木みなと公園」と思い込んで休憩したが、実際には「佐渡汽船埠頭緑地」だった。現地のどこにも「小木みなと公園」という看板が見当たらないので、場所を間違えているのではという不安はあった。やはり初めて行く場所は、よほど事前調査しないとダメだ。


素浜海水浴場
T=11h15m、D=186.72km
 この「素浜海水浴場」についたときに、この場所が「羽茂素浜海岸」と思い込んでしまったのが失敗だった。
 この思い込みのため、この後にルートを間違えて激坂を上る羽目に陥って足を削られてしまった。今回遅れた大きな要因だ。

 


ゴール地点 国際佐渡観光ホテル前
T=12h50m、D=210.68km
 体ボロボロのゴール。実際の時刻は18:37だった。その後お風呂に入って、ホテルの夕飯(19:40)に間に合った。
 自分に、お疲れ様ー!!

 

 

 

(4)まとめ

1)今回の佐渡自主ロングライドのように、既存イベントのコースを自主的に一人で走っても、それなりに楽しむことが出来る。

2)ルート間違いを発生させないためには、十分に時間をかけた詳細な事前調査が必要である。

オリパラのボランティアの想い出

 オリンピック・パラリンピックが終わってから、2ヶ月程度しか経っていないが、今振り返ると遠い昔のように感じてしまう。今回は忘れないように、オリンピックパラリンピックの大会ボランティアの活動について書いておこうと思う。

 

(1)オリンピックのボランティア活動(2021/7/27~7/28)

 そもそもオリンピックボランティアに申し込んだのは、今から4年前の2018年12月だった。それから長い間、集合研修やらeラーニングなどの研修を積んできた。

 今年になって私の頂いたお役目はメディカルグループのファーストレスポンダーというもので、具合の悪くなった人を見つけて医務室に連れて行くという役目だ。当初は10日間の活動予定だったが、開催1ヶ月前に無観客になったため仕事が激減し、2日間だけ東京アクアティクスセンターと辰巳国際水泳場の外回りを巡回する仕事を頂いた。

 7月末の暑いさなかに、東京アクアティクスセンターと辰巳国際水泳場をぐるぐると巡回したので、万歩計は1日2万歩に達した。本音を言えば、巡回する我々の方が具合悪くなりそうだった。下の写真は、辰巳国際水泳場の入口近くで私の巡回チーム3人で撮った記念写真だ。ボランティアは何故か女性が多いのだが、私のチームも、中央の私以外は女性だ。

 

(2)バラリンピックのボランティア活動(2021/8/30~9/2)

 パランピックのボランティアとしての私の仕事場は、東京六本木にある東京UAC(ユニフォーム・アクレディテーション・センター)だった。私の仕事は2種類で、1つはアクレディテーションカードと呼ぶ入場証の発行業務、もう一つは、ボランティアの大量辞退のために余ったユニフォームを希望者に再配布するという業務だった。

 私の活動時期は大会終盤のため、アクレディテーションカードの発行業務がほとんど無く、主にボランティアユニフォームの再配布業務を担当し、4日間活動した。私の活動の最終日に、ユニフォームの再配布が完了して、一緒に働いたボランティアのみなさんと円陣を組んで話す機会があったのが、楽しい想い出となった。下の写真は、閑散としたアクレディテーションカードの発行デスクの前で撮った1枚だ。

オリンピックロードレースの相模原コースサポーター

 コロナ禍の中で始まったオリンピックだが、7月24~25日に行われたロードレースのボランティアとして、相模原に行ってきたので、以下に報告する。

 

(1)相模原コースサポーター

 そもそも2年前の2019年7月にオリンピックロードレースのテストイベントが開催されたが、その時、相模原のコースサポーターに応募したのがきっかけで、今年のオリンピックの相模原コースサポーターにも応募した。オリンピックロードレースは、世界の有名選手のスピードを体感できる滅多にないチャンスだ。

 今回の相模原コースサポーターは写真撮影禁止だったので、仕事ぶりを写真で紹介できないのが少し残念だが、コースサポーターの仕事は、コースの設営と撤収とレース中に観客がコースに出ないように誘導することだ。

 今年6月のツールドフランスで非常識な女性が看板を選手にぶつけて大規模な落車事故が起こしたことは記憶に新しいが、そのような大規模な落車事故が発生しないようにすることがコースサポーターの大事な使命だ。ありがたいことに、大きな問題無く、特に男子選手はあっという間に通過していった。

相模原コースサポーターのTシャツを着た私(相模原市緑区合同庁舎前にて)
 

(2)ロードレースコースの相模原区間

 せっかく相模原に来たので、7月24日の男子ロードレースのコースサポーター終了後に、男子ロードレースコースの相模原区間を自転車で走ってみた。走行区間は、相模原の「相原台」交差点から「両国橋」までの27kmだ[1]

 登り基調(獲得標高=514m)のコースのため、私の平均移動速度は17km/hと遅かった。一方、男子ロードレースの優勝者カラパスの全コースの平均速度は38km/hだった[2]。私の速度はコースの一部分だけの平均速度なので、カラパスとの単純比較は出来ないが、敢えて比較すると、ダブルスコア以上の差があることが分かる。このような比較も、有名選手と同じコースを走ったという自慢になり、サイクリストとしては何気に楽しい。

走行したロードレース相模原区間

(相原台交差点→両国橋、by GARMIN/Googleマップ
 

参考文献

[1]相模原市 市内コース紹介パンフレット

[2]Cycle Sports「東京五輪男子ロードレース詳報」2021/7/27