マイペースチャリダーが行く

ちょうど古稀を迎えた理系チャリダーのブログです。

「自転車の車輪の転がり抵抗について-1」はこちら

コロナワクチンを侮るべからず

 ちょっと番外だが、最近コロナワクチンの2回目接種したところ、体温が急上昇したので、参考までに報告する。

 私は日頃自転車で鍛えているので、67才といえども体力には少し自信があったのだが、それは真逆の勘違いだったようだ。コロナワクチン2回目接種後に高熱が出て、2日目は終日何も出来ず寝こんでしまった。

 今更ではあるが、ファイザー製ワクチンの副反応の調査報告を調べてみると、若者ほど発熱する確率が高いことが分かった。文献[1]文献[2]

 今回の結論としては、あくまでも推測の域を出ないが、筋肉量の多い人ほど免疫抗体反応が強く刺激されて高熱を発するため、若者に限らず、筋肉量の多いと自負する人は、ワクチンを侮らないで対応することをおすすめする。

 

■接種概要

1回目接種 6月11日(金) 午前10時頃

・ワクチン:大田区手配のファイザー製ワクチン

・接種会場:大田区はすぬまクリニック

・症状:接種当日と2日目に、注射した左腕が重い印象だが、体温は異常なし。

2回目接種 7月2日(金) 午前10時頃

・ワクチン:大田区手配のファイザー製ワクチン

・接種会場:大田区はすぬまクリニック

・症状:接種当日深夜から2日目終日にわたって38℃台の高熱。

    接種会場で提供されたカロナールを服用したが、わずかしか改善せず。

 


■体温の測定方法

測定箇所:脇の下

測定機材:テルモ製電子体温計C205

測定モード:予測検温モード

注)ただし、ワクチン接種時の体温測定のみは、病院での非接触型体温計による。

 

参考文献

[1]2021/4/9 読売新聞「【独自】ファイザー製ワクチンの副反応、高齢者は大幅に低い」

[2]2021/4/9 厚労省ワクチン分科会副反応検討部会資料2「健康観察日誌集計の中間報告3」p11

ZWIFT走行記録を保存出来ない不具合の顛末

 先月の5月21日に、ZWIFTの走行記録がアップロード出来ない事象が発生して困った。現象的には、走行を終えた後の「ライドレポート」画面は問題無く表示されるが、「ライドレポート」を確認した後「OK」ボタンを押すとプログラムが異常終了して、次の「保存」画面に進めない現象だ。5月21日は「MAKURI島」というZWIFTの新コースを走行したので、新しいコースの初期不良と思ったのだが、従来コースのワトピアでも同様にプログラム落ちが発生したため、ZWIFT全般の問題と認識した次第だ。

 ネット検索してみると、私と同様に保存出来ない文献[1]があったので、それを参考にして、実施した対策とその顛末をまとめたので以下に報告する。

 

(1)場つなぎ的な対処療法(その1)

 文献[1]文献[2]によれば、今回のようなプログラム落ちに対応するため、ZWIFTは10分毎にログファイルを保存している。そのため、PCには、かなり最終に近い走行データが保存されている。ただし、それらのログファイルも壊れている場合が多いため、ログファイルを修復して、STRAVA等にアップロードする必要がある。作業手順をまとめると、以下の通り。

 

1)PCのログファイル(FITファイル)をコピー

 パスは、ドキュメント→Zwift→Activities

 

2)ログファイルの修復

 FITファイル修復ツールで、時間に関するファイル修復を実行。

 

3)STRAVAにアップロード

 

(2)場つなぎ的な対応方策(その2)

 今回の不具合は、どうもZWIFTの英語表記モードでは発生しないとのことだ文献[3]。そこで、少々不便だが、ZWIFTを英語表記に設定変更することで、走行後のプログラム落ちの不具合を回避出来た。

 

(3)恒久的な対応方策

 今回のブログを書いていた2021/6/13の段階で、ZWIFTが、バージョン1.13.2で日本語表記モードでも不具合発生しないようにバグ修正したという情報を得た文献[4]。私の現在のプログラムバージョンは1.13.2なので、日本語表記モードに戻して走行したところ、見事、記録保存が出来た(2021/6/14)。

 その後、2021/6/17時点の最新バージョン1.14.0でも不具合は発生していないので、本不具合は一件落着とした。

 

参考文献

[1]SNSデイズHP「ZWIFTでデータが保存できない」(2021/5/22)

[2]ZWIFTサポートHP「ライドがアップロードされない」

[3]ZWIFT Japan FaceBook 【ライド後に正常に保存できないバグについて】(2021/5/21 0:49)  

[4]ZWIFT Japan FaceBook 【修正完了】(2021/6/2 20:06)

環七一周サイクリング

 5ヶ月ほどブログ更新をサボってしまった。そのため、かなり旧聞の出来事になってしまうが、去年12月の環七一周サイクリングについて報告する。

 環七一周は約60kmなので、1日で走行するにはちょうど良い距離だ。東京に住むサイクリング好きの私としては、いつかやってみたいサイクリングの一つだった。東京からなかなか出ることが出来ないコロナ禍というこの時期だからこそのイベントと思うので、2020年12月にやってみた。

 

[1]シーサイド江戸川に前泊(2020/12/7AM)

 スタート地点の「葛西臨海公園前」交差点のある江戸川区に、前日に自転車で移動して前泊した。宿泊ホテルは、葛西臨海公園内にあるシーサイド江戸川だ。このホテルは、ホテルオークラが運営するホテルで、機会があれば一度泊まってみたいと思っていたホテルだ。運良くGoToトラベルも使えたので、宿泊代が35%となりお得に泊まることが出来た。部屋は、ツインをゆうゆうと1人で泊まった。シーサイド江戸川は大風呂もあり快適だった。

自宅(大田区)からの距離は25.7km、朝9時過ぎに出発して11時頃ホテルに到着。

 

[2]葛西臨海公園の見学(2020/12/7)

 午後は、葛西臨海公園を見学した。葛西臨海公園の目玉はなんと言っても大観覧車ということで、乗ってみた。高いので眺望は良いのだが、唯一の難点は、ゴンドラの窓が少しくすんでいるので、せっかくの景色がすべてかすんで見えてしまう点だ。

 

[3]環七一周サイクリング(2020/12/8)

 今回の環七一周サイクリングのコースマップを以下に示す。環七終点の「葛西臨海公園前」交差点をスタート地点として、環七内回りを周回して、環七起点の「環七大井ふ頭」交差点まで、環七を逆回りするコースだ。あらためてコースマップを見てみると、環七が一番外側の区をすべてつなぐように出来ていることが分かる。以下のコースマップに代表的な交差点の名前を示したが、詳細なリストは、環七一周交差点リストを参照してほしい。

 

1)城東エリア(江戸川区葛飾区、足立区)

 


葛西臨海公園前」交差点
(No=1、江戸川区、0km)
 環七一周サイクリングの起点となる「葛西臨海公園前」交差点の道路標識だ。  ここを午前9時43分に出発。

 

 

 


葛西駅前」交差点
(No=3、江戸川区、2.4km)
東西線の「葛西駅前」交差点だ。葛西駅は地下鉄博物館が隣接しているが、今回は先を急ぐのでスルーした。

 

 

 

「一之江ランプ」交差点
(No=7、江戸川区、6.4km)
 この交差点は、環七が首都高7号小松川線と交差するポイントだ。この交差点近くの「一之江分教場の杜公園」を起点として、一之江境川親水公園が船堀七丁目までの約3kmにわたって整備されている。親水公園は今回はスルーしたが、一度はポタリングしてみたい場所だ。

 

「総武陸橋下」交差点の近く
(No=10、江戸川区、10.6km)
 自転車で総武陸橋下交差点に行くためには、陸橋の側道を走ると総武線に突き当たるので、右に迂回してトンネルで総武線を越える必要がある。実際の「総武陸橋下」交差点は、このポイントから300m程度北上したところにあり、環七が蔵前橋通りと交差している。

 


「青砥橋」
(No=12、葛飾区、12.6km)
 中川にかかった青砥橋だが、水面が高いので高い場所に設置されている。しかし、歩行者・自転車のための立派なスロープが敷設されていたので、安心して橋を渡ることが出来た。

 

 

亀有駅東」交差点
(No=15、葛飾区、15.3km)
 この交差点は、環七が常磐線を横切るポイントにある交差点だ。この交差点を左折して西に100mほど進むと有名マンガ「亀有公園前派出所」の両津勘吉像がある。

 

「大谷田陸橋」交差点近く
(No=16、足立区、16.4km)
 写真は、「大和田陸橋」から、よく見える「銀河の塔」だ。この塔は歩行者・自転車用の地下トンネル出入口だが、桜の季節は絶好の見物ポイントだ。
 環七が王子金町江戸川線と交差する「大和田陸橋」交差点で、これまで北上してきた環七が大きく西にカーブしていく。

 

江北陸橋下」交差点
(No=22、足立区、23.4km)
 環七が、尾久橋通りと舎人ライナーと交差しているため、3層構造の立体交差になっている。この交差点から北に300m行くと舎人ライナー「西新井大師西」駅がある。

 

 

「都市農業公園前」交差点(鹿浜橋IC)
(No24、足立区、25.6km)
 首都高川口線の「鹿浜IC」との交差点だ。交差点を過ぎると「鹿浜橋」となり、荒川を渡る。
 側道はスロープが敷設されているので、自転車も利用出来る。

 


「新神谷橋」
(No=25、足立区/北区、26.8km)
 隅田川を渡る「新神谷橋」は高い場所に建設されているが、スロープがあり自転車も渡ることが出来る。新神谷橋を渡ると北区だ。この橋から200m下流右岸に「東京水辺ライン神谷のりば」がある。

 

 

 

2)城北・城西エリア(北区、板橋区練馬区、中野区、杉並区)

 


「宮堀」交差点
(No=26、北区、27.1km)
 「宮堀」交差点は、「新神谷橋」の近くにある岩槻街道(北本通り)との交差点だ。この交差点から北に約1.5km離れたところに、隅田川と中川の分岐点の「岩淵水門」がある。

 


「環七板橋本町」交差点
(No=29、板橋区、29.5km)
 この交差点の近くに「国立スポーツ科学センター」がある。今回は、この交差点近くのガストで昼食タイム(12:45~13:45)とした。

 

 


大和町」交差点
(No=30、板橋区、29.8km)
 環七が、国道17号線(中山道)と首都高5号池袋線と交差している3層の立体交差点だ。また、交差点の地下は、都営地下鉄「板橋本町」駅となっている。

 

 


豊玉陸橋」交差点
(No=35、練馬区、35.3km)
 「豊玉陸橋」は、目白通りとの交差点だ。近くに、唐澤博物館、江古田の森がある。

 

 

 


大和陸橋」交差点
(No=38、中野区、38.4km)
 大和陸橋は、早稲田通りとの交差点だ。この交差点は杉並区との区界に近く数10m南に行くと杉並区になる。

 

 

 


「高円寺陸橋下」交差点
(No=41、杉並区、39.7km)
 この交差点は、青梅街道との交差点だ。東に200m行くと、東京メトロ丸ノ内線の「東高円寺」駅や「蚕糸の森公園」がある。

 

 

「大原」交差点
(No=44、杉並区/世田谷区、42.6km)
 「大原」は、環七と国道20号線(甲州街道)との交差点だ。甲州街道は、杉並区と世田谷区の区界になっていて、この交差点を過ぎると世田谷区に入る。近くに、京王線「代田駅」がある。

 

 

 

3)城南エリア(世田谷区、目黒区、大田区)

 


「若林踏切」
(No=49、世田谷区、45.6km)
環七を横切る世田谷線の踏切だ。環七を渡る世田谷線の車両を見ると、心が和む感じがする。この踏切の西側に世田谷線「若林」駅がある。

 

 


「上馬」交差点
(No=52、世田谷区、46.9km)
 環七と国道246号(玉川通り)との交差点だ。近くに、東急田園都市線の「駒澤大学」駅がある。

 

 

 

「柿の木坂」交差点
(No=54、目黒区、49.2km)
 環七と目黒通りとの交差点だ。近くに、自転車メーカーGIANTの直営店がある。

 

 

 

南千束」交差点
(No=56、大田区、51.6km)
 環七と中原街道との交差点だ。近くに、東急池上線の「長原」駅がある。

 

 

 

 


「夫婦坂」交差点
(No=57、大田区、52.4km)
 環七と学研通りとの交差点だ。夫婦坂の名前の由来は、交差する学研通りに向かい合った坂があることに由来している。

 

 

 


「大森東」交差点
(No=62、大田区、56.4km)
 環七と第1京浜(国道15号線)との交差点だ。京急線平和島」駅が近くにある。

 

 

 

「環七大井ふ頭」交差点
(No=63、大田区、58.4km)
 「環七大井ふ頭」は、環七と湾岸道路(国道357号線)との交差点で、環七の起点となっている交差点だ。
 9時43分に「葛西臨海公園前」を出発し、16時7分に到着。所要時間は、6時間24分、平均速度=9.1km/h、平均移動速度=19.6km/hでした。自分に「お疲れ様でしたぁ」。

 

[4]環七一周サイクリングを終えて

 今回、環七一周サイクリングをやってみて、都内での自転車移動が意外にやりにくい場合があることにあらためて気づいたので、概要を以下に紹介する。

 

No=10、総武陸橋下、江戸川区

自転車は、迂回して総武線を渡る必要がある。ただし、表示はしっかりなされている。

 

No=24、鹿浜橋IC、足立区

スロープにじゃまな棒が設置されていて危険を感ずる。

 

No=34、桜台陸橋、練馬区

外回りにのみ自転車用スロープが敷設されていて、内回りにスロープがなく、表示もない。

 

No=37、西武新宿線アンダーパス、中野区

階段脇に設置された金属製のレールに自転車のタイヤを入れて移動させる必要があり、技術と体力が必要。

 

No=48、若林陸橋、世田谷区

側道の信号で、自転車が直進可の信号を待っているといつまでたっても直進できない。信号が左折可の表示の時に、自転車は直進する必要がある。

 

No=63、環七大井ふ頭、大田区

内回りは、自転車は陸橋を走ることが出来るが、外回りは走行不可。表示も不親切。

品川坂サイクリング-2

 前回に引き続き、品川坂サイクリングの2回目を紹介する。今回は、品川区HPで紹介されている品川区の主な坂のうち、前回紹介しなかった坂を2回に分けてサイクリングした。前回同様、本記事の坂番号は品川区HPの番号と同一表記としている。

 

2Aソニー通りから目黒駅と不動前周辺の坂を巡るコース(2020/12/4)

 この2Aコースは、最初にソニー通り近くの「都内で一番の急坂」とされる坂をスタートして、目黒駅周辺の9権之助坂、20行人坂を巡ったあと、山手通りを南下して、目黒不動尊近くの11石古坂、12かむろ坂を巡るコースだ。

Map data©2020 Google

番外 「都内で一番の急坂」
  グーグルマップにソニー通りの近くに「都内で一番の急坂」があるのに気づいたので、「品川区の主な坂」にはない番外だが、行ってみた。

 「一番」という表示は何故かテーピングされていて1番かどうかは不明だが、確かに急坂だった。

 

10行人坂
 東急線の目黒駅から雅叙園に行く坂だ。坂の途中に祠があり、坂の由来や目黒川にかけられた橋の説明がある。

 説明によると、寛永(1624-1645)の頃、出羽(山形県)の行人が、このあたりで修行を始めたところ、次第に多くの行人が集まって住んだので行人坂というらしい。

 

9権之助坂
 目黒駅から目黒川に向かう目黒通りの下り坂だ。表示杭は、右の写真に示す様に、目黒通りの中央分離帯にあるのみだ。

 名前の由来は、村人のために年貢の取立を緩めてもらおうと訴え出た名主権之助が死罪となり、刑場に引かれていく時に振り返った坂という。この坂は、その後「権之助坂」を呼ばれるようになった。

 

11石古坂
 山手通りの「目黒不動」交差店から目黒不動尊の参道に入って500mほど走ったあたりの上り坂だ。表示杭は、ちょうど林試の森公園入口あたりにある。

 

 

 

12かむろ坂
 この坂の中腹にある「かむろ坂公園」に、少女像と名前の由来の説明がある。

 「かむろ」と呼ばれるおかっぱ頭の少女が、暴徒に襲われて、池に飛び込んで死んでしまった。それを見て不憫に思った村人が、少女をこの丘の中腹に葬ったという。その後、この坂は「かむろ坂」と呼ばれるようになった。

 

2B立会道路沿いの坂を巡るコース(2020/12/15)

 この2Bコースは、旧立会川の南側斜面の坂を巡るコースだ。最初に西小山付近の17江戸見坂、18八幡坂を巡り、次に昭和大学病院近くの19鏑木坂と20さいかち坂を巡り、さらに旗の台近くの21カナリア坂を巡り、最後に番外ではあるが「夫婦坂」でゴールする。

Map data©2020 Google


17江戸見坂
 このあたりは、品川区で一番標高が高い(35.88m)ため、江戸を一望できたという。

 

 

 

 

19鏑木坂
 このあたりに、名主鏑木家の屋敷があったため名付けられたという。今も近くに、その鏑木家の子孫が住んでいる。

 

 

 

20さいかち坂
 この坂は、中原街道昭和大学病院脇から大井町線の高架橋まで行くときの何気ない上り坂だ。

 この坂道の両脇に昔「さいかちの木」があり、大正時代までは樹木や雑草の生い茂る昼なお暗い坂だったという。

 


21カナリア
 この坂は、昭和30年頃に荏原第五中学校の校長先生と、当時坂の途中にあった鳥獣店のご主人とが相談して、鳥の中でも人気があって語呂がよい「カナリヤ」の名前をつけたとのことだ。

 

 


番外 夫婦坂
 この坂は、環七を挟んで両側に向かい合った坂であることから、「夫婦坂」と名付けられたという。この夫婦坂は、品川区ではなく大田区にあるので番外だが、大田区の坂道No.11として登録されている。文献[2]

 また、この坂の北側の起点は、旧品川道に接続しているが、品川道については、文献[3]が参考になる。

 

参考文献

[1]品川区HP「品川区の主な坂」

[2]大田区HP「大田区の坂道」

[3]ブログ散歩の途中 「品川道を歩く その2 世田谷瀬田から品川湊」

 

品川区坂一覧表-2
今回の品川区坂サイクリング-2の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。

品川坂サイクリング-1

 港区に続いて、今回は品川区の坂サイクリングについてご紹介したい。品川区は、私の住んでいる大田区のお隣の区なので、なじみのある地域だ。今回は、品川区ホームページの「品川区の主な坂」を参考にして、品川区の東側の坂を3回に分けてサイクリングした。なお、本記事の坂番号は、品川区HPの番号と同一表記とした。

 

1A五反田と大崎周辺の6つの坂を巡るコース(2020/11/4)

 最初の1Aコースは、中原街道沿いの「14桐ヶ谷坂」をスタートして、桜田通りの名物坂「13相生坂」をピストンしてから、ソニー通りの「1八ツ山の坂」から御殿山通りの「2御殿山の坂」を巡り、最後は昭和レトロの「16百反坂」と「15峰原坂」を巡るコースだ。

Map data©2020 Google


14桐ヶ谷坂
 桐ヶ谷坂は、中原街道の桐ヶ谷の交差点から山手通りまでの坂だ。私は自転車で都心に出る時には必ず通る坂だが、これまで「桐ヶ谷坂」という名前は知らなかった。品川区の表示杭も目立たないので注意しないと見逃してしまう。

 


13相生坂
 相生坂は、桜田通り沿いに五反田駅から高輪台に行くときの長いだらだらとした上り坂だ。この坂は私の自転車通勤時の最大の難所だった。

 

 

 


1八ツ山坂
 八ツ山坂は、ソニー通りを五反田から品川にいくときの上り坂だ。江戸時代は、この坂の先が海で八つの突き出た洲があったので、八ツ山坂と言うらしい。

 

 


2御殿山の坂
 御殿山の坂は、御殿山通り沿いの坂だ。ソニー通りからは、御殿山交番前の交差点から南下してミャンマー大使館に突き当たったら右折すると御殿山通りに出る。そのまま道なりに行った下り坂が御殿山の坂だ。ちょっと雰囲気が良い坂だ。

 

 

1B大井町周辺の6つの坂を巡るコース(2020/11/8)

 1Bコースのスタート地点は、16百反坂だ。百反坂をスタート地点としたのは、1Aコースのサイクリング時にどうしても百反坂の表示杭が見つからなかったので、今回リベンジで百反坂をスタート地点とした。百反坂の表示杭は、なんと百反坂を登り切ってからさらに西側に200m以上離れたローソン近くにひっそりと立っていた。

 スタート地点の16百反坂から、鉄道の線路を越えて東進して国道15号線を起点とする「3ゼームズ坂」、それを登ってから住宅街に突入すると「4ゆうれい坂」だ。もう一度国道15号線に戻ると、青物横丁駅付近に「5仙台坂」がある。この仙台坂は、15号線とほぼ並行に走っている池上通りの起点にもなっている。「5仙台坂」の後は、「旧仙台坂」「6木の芽坂」「7犬坂」「8ヘルマン坂」を巡ってゴールだ。

Map data©2020 Google


16百反坂
 百反坂は、百反通りが目黒川に向かって緩やかに傾斜していく下り坂だ。たくさんの段があったことから「ひゃくだんざか」とも呼ばれていたので、「百反坂」と名付けられたとのことだ。

 

 


3ゼームズ坂
 ゼームズ坂は、明治時代、坂途中に英国人のJ.M.ゼームズが住んでいたことからゼームズ坂と呼ばれるようになったという。ちょっとおしゃれな坂名だ。

 

 

 


4仙台坂
 現在の仙台坂は、京浜急行青物横丁駅の15号線の交差点を起点とする坂だ。この交差点は、池上通りの起点にもなっていて、青物横丁から仙台坂を登って大森を経由して池上方面に行くことが出来る。

 

 

旧仙台坂
 仙台坂は、仙台藩主伊達家の下屋敷や仙台味噌の醸造所があったことから仙台坂と呼ばれるようになったとのことだ。この坂はもともとの仙台坂である。現在の4仙台坂は、この旧仙台坂と並行して北側に位置しているが、道幅が広くなり交通量が増えてきたため、坂名が移転して、「仙台坂」と呼ばれるようになった。

 

1C戸越銀座商店街近くの5つの坂を巡るコース(2020/11/21)

 1Cコースは、都営浅草線戸越駅近くにある戸越銀座商店街近くの5つの坂を巡るコースだ。戸越銀座商店街は、周りよりも一段低い東西に延びる商店街だが、5つの坂は、戸越銀座商店街を起点として、いずれも南下する上り坂である。西側から、「26清水坂」「26宮前坂」「24八幡坂」「23三井坂」「22平和坂」の順に並んでいる。この1Cコースは、近くに住む息子と一緒にサイクリングした。

Map data©2020 Google


26清水坂
 清水坂には、表示杭はなく、この写真のように、歯医者の看板でここが清水坂だと分かる程度である。

 

 

 

 


25宮前坂
 宮前坂は、戸越八幡神社や行慶寺が近くにあるから名付けられたという。

 

 

 

 

 


24八幡坂
 八幡坂の表示杭の近くには、八幡神社入口がある。

 

 

 

 

 


1Cコースのゴールは戸越公園だ、この公園は、熊本藩主細川家の下屋敷があった場所で、その後三井家に所有が移った後に荏原町(後の品川区)に寄贈され、公園として整備された。

 

 

 

 

品川区坂一覧表-1
今回の品川区坂サイクリング-1の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。

港区坂サイクリング-3

 前回に引き続き、3回目の港区の坂サイクリングをご紹介する。今回で港区の坂図鑑で紹介されている坂はすべて制覇することになる。今回の坂サイクリングは、主に9月30日にサイクリングした。今回の坂サイクリングのルートは、以下の3つのコース3A、3B、3Cに分けて、ご紹介する。

 

3A六本木・麻布・赤坂の坂を巡るコース

 コース3Aは、六本木の1於多福坂をスタートして麻布の北側を坂巡りしながら西に進んで、六本木通りの高樹町からは、折り返して東に向かって9笄坂、10霞坂を経由して、赤坂で2つの坂と志賀直哉居宅跡などを見て、最後は六本木の13寄席坂でゴールとなる。

Map data©2020 Google


1於多福坂
 於多福坂は、東洋英和女学院の裏手に位置する坂だ。於多福坂とは、女性のことではなく、坂が2段階の坂になっていてそれが於多福の能面のような起伏になっていることから名付けられたようだ。

 

 


きみちゃん像
3大黒坂の起点となっている麻布十番の広場に立っている「きみちゃん像」だ。野口雨情の「赤い靴」のモデルとなった女の子だという。ちょっと悲しいお話がきみちゃん像の足下に書かれていた。

 

 

 

 


4狸坂
 3大黒坂からさらに西に進むと4狸坂となる。狸坂は、ひとをばかす狸が出没したためという。

 

 

 

 

5狐坂
 4狸坂をずっと西に進むと、5狐坂となる。狐坂には表示杭がないが、アラブイスラーム学院が目印だ。狸と狐とは、まるで江戸時代のお化け屋敷の世界のようだ。

 

 

志賀直哉居宅跡
 志賀直哉居宅跡は、ブリジストン社宅となっていて、ブリジストン社宅の入口にひっそりと看板がたっている。志賀直哉居宅は、5550.6m2もあり、雑木林の趣のある広大な敷地の居宅だったという。

 

 

 

3B六本木3丁目から麻布台にかけて巡る坂めぐり

 コース3Bは、六本木3丁目の3つの坂と、麻布台の7つの坂を巡って、最後は三田の神明坂に抜けるコースだ。

Map data©2020 Google


16丹波谷坂
 丹波谷坂は、近くに旗本の岡部丹波守の屋敷があったためその坂下を丹波谷と呼んだことから、この坂の名称になったとのことである。

 

 

 


18鼠坂
 細長くて狭い坂を江戸では鼠坂と呼ぶ風習があったためという。

 

 

 

 


20雁木坂
 階段になった坂を一般に雁木坂というが、一説には敷石が直角に組まれていたためともいう。

 

 

 

 

22永井坂
飯倉の交差点から、東京タワーの方へ行く道の途中の何気ない坂が、この永井坂だ。この辺は、江戸時代は芝永井町と呼んだためという。ちなみに、飯倉交差点を挟んで反対側には21榎坂があるが、そこには表示杭がなく、「榎屋」という和菓子屋の看板だけが榎坂という痕跡をとどめている。

 

 

3C白銀台の坂を巡って高輪に至るコース

 コース3Cは、スタートの三田の24神明坂から、白銀台に移動して、4つの坂(25蜀江坂、26明治坂、27日東坂、28三光坂)を巡り、その後麻布通りと目黒通りに沿って29名光坂、30日吉坂、31桑原坂を巡り、最後は高輪の32天神坂、33葭見坂、34洞坂に至る。

Map data©2020 Google

24神明坂
 神明坂は、坂の途中にある天祖神社を本神明元神明と呼んだためという。この坂は、交通量の多い環状3号線から三田の閑静なオーストラリア大使館近くに行く秘密の抜け道と言う印象だ。神明坂の坂上は、綱の手引き坂と日向坂の分水嶺となる交差点だ。

 


27日東坂
 日東坂は、近くに日東紡または日本精糖の敷地があったためという。坂を下りた左側にNECの迎賓館の泉華荘がある。

 

 

 


28三光坂
 三光坂は、近くの専心寺にあった三葉の松にちなんで、三鈷(さんこ仏具)坂と呼んだという。坂下は、恵比寿通りの「三光坂下」という交差点である。

 

 


34洞坂
洞坂は、国道15号線から高輪消防署までを登る桂坂という坂があるが、その支流のような坂だ。洞坂の近くには東芝の迎賓館である山口記念会館や、柴田錬三郎旧居がある。

 

 

 

港区坂一覧表-3

今回の港区坂サイクリング-3の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。

港区坂サイクリング-2

 前回に引き続き、2回目の港区の坂サイクリングをご紹介する。今回の港区坂サイクリング-2は、主に9月21日に、私の自宅の近くに住んでいる息子を誘って一緒にサイクリングした。今回の坂サイクリングのルートは、以下の3つのコース2A、2B、2Cに分けて、ご紹介する。

 

2A鳥居坂を出発して、六本木と元赤坂の坂を巡るコース

 最初のコース2Aは、六本木の1鳥居坂を出発して、六本木を北上しながら坂を巡り、その後、元赤坂の赤坂御所を一周して、ゴールは12弾正坂だ。

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2永坂
 永坂は、「新一の橋」交差点から「飯倉片町」の交差点までの長い坂のことを言うらしい。写真は、永坂を半分程度登ったところにある小さな公園から麻布通りの方を見下ろした写真である。この麻布通りの高速道路を挟んだ反対側の坂には、そば屋で有名な「永坂更科布屋太兵衛」本社ビルがある。

 


3饂飩坂
 饂飩坂は、「松屋伊兵衛」といううどん屋があったためと表示杭に記されている。面白い名前だ。

 

 

 

 

 

 


5乃木坂
 千代田線の駅名にもなっている乃木坂は、以前は「幽霊坂」と呼ばれていたが、大正元年9月に乃木大将が殉死した以降、「乃木坂」と改名されたと石碑に刻まれている。

 

 


9紀尾井坂
 この紀尾井坂は、「港区」ではなく「千代田区」なので、言わば「番外編」と言うべきだが、2Bコースの中で無理なく回れる坂だ。紀尾井坂は、名前通り、紀伊家、尾張家、井伊家が近くにあったので命名されたという。  この坂は、ちょうどニューオータニ本館ビルの入口に面しているのだが、ニューオータニ本館の回転展望レストランを見ると、「お母さん、あの帽子どうなったでしょうね」というセリフを有名にした「人間の証明」という古い映画のことを思い出してしまう。これこそ「おじさんの証明」かも!!

 

2B赤坂の坂と勝海舟の邸宅跡を巡るコース

 2Bコースは、12弾正坂を出発して赤坂の坂を巡るコースだ。途中で、2つの勝海舟の邸宅跡も見ることが出来る。

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14薬研坂
 テレビ時代劇で漢方薬をすりつぶす道具の薬研がでることがある。薬研坂は、中央がすり鉢状になっていて両端が高くなっている薬研に似ていることから、薬研坂命名されたという。[1]

 

17三分坂
 見るからに急勾配の三分坂は、車賃を銀三分(さんぷん=100円余)増したため、この三分坂という名前になったとのことである。

 

 

 


勝海舟邸宅跡(1)
 幕末に徳川幕府のリーダーとして活躍した勝海舟は、赤坂溜池に住む永井青厓に蘭学を学んだことがきっかけとなり、23才に結婚して赤坂田町仲通りに住み始めた。36才の時にこの本氷川坂下(勝海舟邸宅跡(1)赤坂6-10-41)に移り住んだという。現在は、「ソフトタウン赤坂」というマンションが建っていて、さりげなく写真の表示杭と説明パネルが設置されている。  この邸宅跡(1)に住んでいた10年間が、勝海舟が最も活躍した年代であるという。

 


勝海舟邸宅跡(2)
 明治維新明治元年(1968年)、勝海舟は引退した徳川慶喜に付き添って静岡に転居するが、明治5年(1872年)に再び上京し、満76才(1899年)で亡くなるまで、この勝海舟邸宅跡(2)(赤坂6-6-14)に住んでいた。その後邸宅跡は、東京市に寄付されて平成5年まで本氷川小学校として使われていたが、その後は老人ホームに転用されている。

 

 

2C赤坂一丁目・虎ノ門・六本木一丁目の坂を巡るコース

 コース2Cは、21南部坂をスタートして六本木通りを横断して赤坂一丁目に入って22榎坂、その後、虎ノ門の3つの坂(23汐見坂、24江戸見坂、25霊南坂)を経由して、ふたたび赤坂一丁目に戻って26桜坂、最後に六本木一丁目の4つの坂(27道源寺坂、28スペイン坂、29御組坂、30行合坂)を巡るコースだ。

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28スペイン坂
 1986年に誕生したアークヒルズの南に隣接するスペイン坂は、民間の大規模再開発事業アークヒルズの一環としてつくられた。この坂はスペイン大使館につながることから、スペイン坂と名付けられたという。

 

 

参考文献

[1]ウィキペディア 薬研 

 

【2020年11月18日追記】

港区坂一覧表-2 今回の港区坂サイクリング-2の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。