マイペースチャリダーが行く

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「自転車の車輪の転がり抵抗について-1」はこちら

自転車の歴史

 私は自転車が好きなこともあって、自転車の歴史にも少なからず興味があった。たまたまひょんなことから、自転車の歴史を人に説明する機会があったので、ちょっと調べてまとめてみたので、このブログでも紹介しようと思う。

 

(1)ハードとしての自転車の歴史

 自転車は、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が1818年に発明した「ドライジーネ」が原型とされている。これまで4輪の荷馬車はあったが2輪で走行できるという発想はコロンブスの卵的な発想が必要だったに違いない。ただし、ドライジーネは、まだペダルがなく地面をキックして走る必要があった。

 ペダルが取り付けられた改良型は、「ミショー型」と呼ばれてフランスのピエール・ミショーによって開発され1861年に商業化・発売された。しかし、ペダルが車軸に1対1で取り付けられているため、スピードが出なかった。そこで1870年に、英国のジェームズ・スターレーがスピードを追求した「ペニー・ファージング型」を開発・発売して好評を得た。ところが、ペニー・ファージング型はスピードは出るものの、乗車位置が高いため重心が高く安定性が悪いことや乗員の足が地面につかないこともあり、危険な乗り物だった。

 1885年英国で、現在と同様な後輪チェーン駆動の自転車「ローバー安全型自転車」が発売された。開発者のジョン・ケンプ・スターレーは、ペニー・ファージング型を開発したジェームズ・スターレーの甥だった。その後、空気入りゴムタイヤがジョン・ボイド・ダンロップによって開発され、1894年にフリーホィールが導入されて、様々な改良がなされていく。文献[1]文献[2]

 

(2)サイクリングクラブ設立と中間層への普及

 1870~1880年頃のペニー・ファージング型の拡大期には、各地で様々なサイクリングクラブが設立されて、愛好家同士が集まり、集団でサイクリングするようになった。集団走行により、路面の凹凸に全員で気を配ることで転倒の危険性を低減したり、馬車などに対しても注意を促して事故を抑制できたため、集団で乗るほうが好都合だったのである。このようなサイクリングクラブの一つとして、英国で1878年設立の「サイクリスト・ツーリング・クラブ」(Cyclists' Touring Club)がある。このサイクリングクラブは現在まで継続している。(2016年にCycling UKに改称)文献[3]

 草創期の自転車は、非常に高価なため上流階級の乗り物として注目されたが、自転車は次第に中産階級にも広がっていった。従来は、上流階級の乗馬層と平民階級の歩行者層の2階層だったが、自転車は、それらの中間の第三階層としての乗り物として注目された。また、ローバー安全型自転車が出現すると女性でも安全に走行できるため、女性の行動範囲が広がり、女性の社会進出を促す乗り物として、中間層の若い女性に大いに受け入れられていった。文献[4]文献[5]

 

(3自転車レース

 19世紀後半の自転車草創期の時代は、自転車のショーやレースが自転車の普及に大いに役立った。その後、自転車の普及は、中間層を中心に進んでいく。

 1903年になると、フランスのスポーツ紙「ロト」(現在のレキップ紙)が購読者を増やす目的で、第1回のツール・ド・フランスを開催した。 第1回のツール・ド・フランスは、6ステージ2428kmの過酷な耐久レースであった。ツール・ド・フランス開催により、ロト紙は購読数が25000部から65000部に倍増する。文献[6]文献[7]

 ツール・ド・フランスに続いて、ジロ・デ・イタリアが1909年に、ブエルタ・ア・エスパーニャが1935年に初開催される。ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャは、3大ツールと呼ばれている。文献[8]文献[9]

 

(4)自転車の主な年表

 上述した自転車の歴史を含めた主な年表を以下にまとめておく。

 

参考文献

[1]自転車博物館HP

[2]自転車 Wikipedia

[3]ペニー・ファージング Wikipedia

[4]山田眞實「自転車文化論」"同志社商学"54巻1-2-3号、pp.141 - 167

[5]荒井政治「サイクリング・ブームと自転車工業の興隆 : 19世紀末イギリス」  "關西大學經済論集"37巻5号、pp.553-582

[6]レキップ Wikipedia

[7]ツール・ド・フランス Wikipedia

[8]ジロ・デ・イタリア Wikipedia

[9]ブエルタ・ア・エスパーニャ Wikipedia