マイペースチャリダーが行く

ちょうど古稀を迎えた理系チャリダーのブログです。

「自転車の車輪の転がり抵抗について-1」はこちら

港区坂サイクリング-2

 前回に引き続き、2回目の港区の坂サイクリングをご紹介する。今回の港区坂サイクリング-2は、主に9月21日に、私の自宅の近くに住んでいる息子を誘って一緒にサイクリングした。今回の坂サイクリングのルートは、以下の3つのコース2A、2B、2Cに分けて、ご紹介する。

 

2A鳥居坂を出発して、六本木と元赤坂の坂を巡るコース

 最初のコース2Aは、六本木の1鳥居坂を出発して、六本木を北上しながら坂を巡り、その後、元赤坂の赤坂御所を一周して、ゴールは12弾正坂だ。

Map data©2020 Google


2永坂
 永坂は、「新一の橋」交差点から「飯倉片町」の交差点までの長い坂のことを言うらしい。写真は、永坂を半分程度登ったところにある小さな公園から麻布通りの方を見下ろした写真である。この麻布通りの高速道路を挟んだ反対側の坂には、そば屋で有名な「永坂更科布屋太兵衛」本社ビルがある。

 


3饂飩坂
 饂飩坂は、「松屋伊兵衛」といううどん屋があったためと表示杭に記されている。面白い名前だ。

 

 

 

 

 

 


5乃木坂
 千代田線の駅名にもなっている乃木坂は、以前は「幽霊坂」と呼ばれていたが、大正元年9月に乃木大将が殉死した以降、「乃木坂」と改名されたと石碑に刻まれている。

 

 


9紀尾井坂
 この紀尾井坂は、「港区」ではなく「千代田区」なので、言わば「番外編」と言うべきだが、2Bコースの中で無理なく回れる坂だ。紀尾井坂は、名前通り、紀伊家、尾張家、井伊家が近くにあったので命名されたという。  この坂は、ちょうどニューオータニ本館ビルの入口に面しているのだが、ニューオータニ本館の回転展望レストランを見ると、「お母さん、あの帽子どうなったでしょうね」というセリフを有名にした「人間の証明」という古い映画のことを思い出してしまう。これこそ「おじさんの証明」かも!!

 

2B赤坂の坂と勝海舟の邸宅跡を巡るコース

 2Bコースは、12弾正坂を出発して赤坂の坂を巡るコースだ。途中で、2つの勝海舟の邸宅跡も見ることが出来る。

Map data©2020 Google

 

14薬研坂
 テレビ時代劇で漢方薬をすりつぶす道具の薬研がでることがある。薬研坂は、中央がすり鉢状になっていて両端が高くなっている薬研に似ていることから、薬研坂命名されたという。[1]

 

17三分坂
 見るからに急勾配の三分坂は、車賃を銀三分(さんぷん=100円余)増したため、この三分坂という名前になったとのことである。

 

 

 


勝海舟邸宅跡(1)
 幕末に徳川幕府のリーダーとして活躍した勝海舟は、赤坂溜池に住む永井青厓に蘭学を学んだことがきっかけとなり、23才に結婚して赤坂田町仲通りに住み始めた。36才の時にこの本氷川坂下(勝海舟邸宅跡(1)赤坂6-10-41)に移り住んだという。現在は、「ソフトタウン赤坂」というマンションが建っていて、さりげなく写真の表示杭と説明パネルが設置されている。  この邸宅跡(1)に住んでいた10年間が、勝海舟が最も活躍した年代であるという。

 


勝海舟邸宅跡(2)
 明治維新明治元年(1968年)、勝海舟は引退した徳川慶喜に付き添って静岡に転居するが、明治5年(1872年)に再び上京し、満76才(1899年)で亡くなるまで、この勝海舟邸宅跡(2)(赤坂6-6-14)に住んでいた。その後邸宅跡は、東京市に寄付されて平成5年まで本氷川小学校として使われていたが、その後は老人ホームに転用されている。

 

 

2C赤坂一丁目・虎ノ門・六本木一丁目の坂を巡るコース

 コース2Cは、21南部坂をスタートして六本木通りを横断して赤坂一丁目に入って22榎坂、その後、虎ノ門の3つの坂(23汐見坂、24江戸見坂、25霊南坂)を経由して、ふたたび赤坂一丁目に戻って26桜坂、最後に六本木一丁目の4つの坂(27道源寺坂、28スペイン坂、29御組坂、30行合坂)を巡るコースだ。

Map data©2020 Google


28スペイン坂
 1986年に誕生したアークヒルズの南に隣接するスペイン坂は、民間の大規模再開発事業アークヒルズの一環としてつくられた。この坂はスペイン大使館につながることから、スペイン坂と名付けられたという。

 

 

参考文献

[1]ウィキペディア 薬研 

 

【2020年11月18日追記】

港区坂一覧表-2 今回の港区坂サイクリング-2の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。