前回に引き続き、品川坂サイクリングの2回目を紹介する。今回は、品川区HPで紹介されている品川区の主な坂のうち、前回紹介しなかった坂を2回に分けてサイクリングした。前回同様、本記事の坂番号は品川区HPの番号と同一表記としている。
2Aソニー通りから目黒駅と不動前周辺の坂を巡るコース(2020/12/4)
この2Aコースは、最初にソニー通り近くの「都内で一番の急坂」とされる坂をスタートして、目黒駅周辺の9権之助坂、20行人坂を巡ったあと、山手通りを南下して、目黒不動尊近くの11石古坂、12かむろ坂を巡るコースだ。
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番外 「都内で一番の急坂」
グーグルマップにソニー通りの近くに「都内で一番の急坂」があるのに気づいたので、「品川区の主な坂」にはない番外だが、行ってみた。
「一番」という表示は何故かテーピングされていて1番かどうかは不明だが、確かに急坂だった。
10行人坂
東急線の目黒駅から雅叙園に行く坂だ。坂の途中に祠があり、坂の由来や目黒川にかけられた橋の説明がある。
説明によると、寛永(1624-1645)の頃、出羽(山形県)の行人が、このあたりで修行を始めたところ、次第に多くの行人が集まって住んだので行人坂というらしい。
9権之助坂
目黒駅から目黒川に向かう目黒通りの下り坂だ。表示杭は、右の写真に示す様に、目黒通りの中央分離帯にあるのみだ。
名前の由来は、村人のために年貢の取立を緩めてもらおうと訴え出た名主権之助が死罪となり、刑場に引かれていく時に振り返った坂という。この坂は、その後「権之助坂」を呼ばれるようになった。
11石古坂
山手通りの「目黒不動」交差店から目黒不動尊の参道に入って500mほど走ったあたりの上り坂だ。表示杭は、ちょうど林試の森公園入口あたりにある。
12かむろ坂
この坂の中腹にある「かむろ坂公園」に、少女像と名前の由来の説明がある。
「かむろ」と呼ばれるおかっぱ頭の少女が、暴徒に襲われて、池に飛び込んで死んでしまった。それを見て不憫に思った村人が、少女をこの丘の中腹に葬ったという。その後、この坂は「かむろ坂」と呼ばれるようになった。
2B立会道路沿いの坂を巡るコース(2020/12/15)
この2Bコースは、旧立会川の南側斜面の坂を巡るコースだ。最初に西小山付近の17江戸見坂、18八幡坂を巡り、次に昭和大学病院近くの19鏑木坂と20さいかち坂を巡り、さらに旗の台近くの21カナリア坂を巡り、最後に番外ではあるが「夫婦坂」でゴールする。
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17江戸見坂
このあたりは、品川区で一番標高が高い(35.88m)ため、江戸を一望できたという。
19鏑木坂
このあたりに、名主鏑木家の屋敷があったため名付けられたという。今も近くに、その鏑木家の子孫が住んでいる。
20さいかち坂
この坂は、中原街道を昭和大学病院脇から大井町線の高架橋まで行くときの何気ない上り坂だ。
この坂道の両脇に昔「さいかちの木」があり、大正時代までは樹木や雑草の生い茂る昼なお暗い坂だったという。
21カナリア坂
この坂は、昭和30年頃に荏原第五中学校の校長先生と、当時坂の途中にあった鳥獣店のご主人とが相談して、鳥の中でも人気があって語呂がよい「カナリヤ」の名前をつけたとのことだ。
番外 夫婦坂
この坂は、環七を挟んで両側に向かい合った坂であることから、「夫婦坂」と名付けられたという。この夫婦坂は、品川区ではなく大田区にあるので番外だが、大田区の坂道No.11として登録されている。文献[2]
また、この坂の北側の起点は、旧品川道に接続しているが、品川道については、文献[3]が参考になる。
参考文献
[3]ブログ散歩の途中 「品川道を歩く その2 世田谷瀬田から品川湊」
品川区坂一覧表-2
今回の品川区坂サイクリング-2の坂一覧表を参考までに以下にまとめておく。