マイペースチャリダーが行く

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「自転車の車輪の転がり抵抗について-1」はこちら

石巻・気仙沼・松島観光

 前回記事「ツール・ド・東北2025」に続いて、今回は石巻・気仙沼・松島の観光について書こうと思う。東北地方へは旅行は、1986年7月の白河関の里への会社旅行、また同年8月の気仙沼と磐梯五色ヶ原への家族旅行以来である。それから、米沢などに会社の出張で行くことは数回あったものの、東北への旅行としては、今回の旅行は39年ぶりとなった。

 

(1)旅行日程

 実は、今回の旅行開始前日に、ちょっとしたハプニングがあった。2025/9/11の15時頃に東京都にゲリラ豪雨が発生して、私の住んでいるマンションの立体駐車場の地下ピットが雨で冠水した。そのため、立体駐車場が故障してしまったのだ。幸いにして私の車は最上段だったため水没は免れたが、立体駐車場が故障したため、パレットを下げて私の車(フリード)を出庫することが出来なくなってしまった。今回の旅行は、フリードにロードバイク2台を搭載・移動する計画だったので、大ピンチだ。

 そこで、自家用車の代わりに急遽レンタカーを探したところ、運良くニッポンレンタカー武蔵小杉店で、ミニバン(シェンタ)を予約手配することが出来た。シェンタならば、2ndシートと3rdシートの両方を倒せば、ロードバイク2台と旅行バッグを余裕で搭載可能だ。ニッポンレンタカー武蔵小杉店には感謝!感謝!

 旅行日程を下表に示す。

 1日目(9/12)は、レンタカーのシェンタでの移動がメインとなる。シェンタでの移動は主に常磐高速道を利用して石巻河南ICまで移動した。16時頃ホテルに到着し、後から新幹線で来る妻と合流する19時までの3時間を使って、松島大森壮観という松島の展望台を観光することにした。

 2日目(9/13)の午前中は、翌日のツール・ド・東北の臨時駐車場となる石巻総合運動公園を下見した。午後は、気仙沼東日本大震災遺構・伝承館を見学した。

 3日目(9/14)は、前回記事で紹介したように、妻と私はツール・ド・東北でそれぞれ65kmと100kmのコースを完走した。

 4日目(9/15)午前中は、みやぎ東日本大震災津波伝承館を見学、午後は石森萬画館と隣接している教会を見学した。

 最終日(9/16)午前中は、観光船で松島観光を楽しんだ後、シェンタで帰宅した。

 下表の上段の黄色アミガケ部分は、私が以前提案した自転車の輪行分類による表記を示している。今回の輪行区分は、車を利用した単一拠点型だ。

 

旅行日程(2025/9/12~9/16)




(2)気仙沼東日本大震災津波伝承館(9/13)

 以下の写真は、旧宮城県立気仙沼向洋高校の門だ。向こうに見えるのが、旧校舎で現在は津波伝承館となっている。なお現在の向洋高校は、ここから約2kmの距離に建っている。

旧宮城県立気仙沼向洋高等学校の門

 

元CAD室(1F)

 めちゃくちゃになったCAD室だ。津波の破壊力はすざましい。


車の残骸(3F)

 圧巻は何と言っても、この3F教室に流れ着いた車の残骸だろう。津波は、車も軽々と持ち上げて移動させてしまう。津波というのは、普通の波ではなく、巨大な海そのものが攻めてきたという感覚の方が正しいと思う。

 

錆びたレターケース(4F)

 4Fにあった何気ないレターケースだ。この錆びている部分の高さ(25cm)から、津波の高さは約12mだったと推定されている。


(3)みやぎ東日本大震災津波伝承館(9/15)

 みやぎ東日本大震災津波伝承館は、石巻南浜津波復興祈念公園の中に建っている。この公園は石巻市の南浜地区(門脇町、南浜町、雲雀野町)にあって、南側は太平洋、東側は旧北上川に面しており、特に津波の影響を受けた地区だ。

 東日本大震災による石巻市の犠牲者4000人のうち、この南浜地区では500人以上の犠牲者があり、犠牲者が特に多かったとのことだ。またこの南浜地区は、津波に加えて火災や地盤沈下などの被害が大きかったため、このような公園として整備されたという。

みやぎ東日本大震災津波伝承館


門脇保育園跡地

 上述のみやぎ東日本大震災津波伝承館の近くに、門脇保育園跡地がある。ここには、大震災当時に50人の幼児がいて、そのうち30人は親が引き取りに来た。残り20人の幼児は、0歳児はおんぶ、1-2歳児は避難車、3歳児からは走って、1.8km離れた山の上の石巻保育所に職員と共に避難し、全員無事だったという。日頃から毎月自主的に避難訓練していた、まじめな東北人だから出来た快挙だと思う。[1][2][3]

 

(4)石森萬画館(9/15)

 石森萬画館と旧ハリストス正教会教会堂は、旧北上川の中州に建っている。実は石森章太郎は石巻近郊の登米市出身なのだが、1995年に当時の石巻市長と対談した中で、第2の故郷の石巻の活性化を目的とした「マンガランド構想」が誕生し、その結果として2001年に石森萬画館がオープンしたという。[4]

石森萬画館の外観

 

サイボーグ009

 若い世代は仮面ライダーかもしれないが、私の世代は何と言っても「サイボーグ009」だ。この「009」の他、石森萬画館の玄関にジェットリンク(002)が飾られていた。

 

(5)松島

 初日(9/12)に行った松島は、大森壮観と呼ばれている展望台で東側の高台から西側に向かって松島を一望できる展望台だ。夕日の景色を期待して9/12夕方に訪れたのだが、あいにく当日は曇りだったので、残念ながら夕日の松島は見れなかった。

 写真3枚の合成写真を以下に示す。

大森壮観からの松島(9/12)


  もう一つの松島は、観光船からみた松島だ。最終日(9/16)に乗船した観光船からは、一つ一つの島をつぶさに見ることが出来た。以下に、鐘島と仁王島の写真を示す。鐘島は4つの洞窟すべての向こう側が見える瞬間を狙って撮影した。

鐘島(9/16)

仁王島(9/16)

 仁王島は、松島を代表する島とのこと。ちょっぴり可愛らしい印象だ。

 

(6)ルートイン石巻河南IC

 最後に、今回4泊したルートイン石巻河南ICを紹介する。この郊外型ホテルは、スタート地点の専修大学に近いという理由で選んだが、それ以外に夕食や買い物にも大変便利だった。

 郊外型ホテルの弱点は、田んぼの真ん中にポツンと建っているホテルだと、何をするにも車を起動して数km走って用を足す必要が生ずる。しかし今回のルートイン石巻河南ICでは、ホテルに近接した郊外型レストラン2軒とDIYセンターとスポーツショップと大型電気店があり、さらに1km以内の徒歩圏に拡げるとさらに多数の郊外店があり、大概の買い物や夕食は歩いても行くことが出来て、大変便利だった。

 

ルートイン石巻河南ICの近傍マップ(Googleマップより)

 

ルートイン石巻河南IC外観(公式HPより)


(7)終わりに

 今回の観光で一番印象的だったのは、何と言っても気仙沼および石巻の津波伝承館だ。

 特に気仙沼の津波伝承館では津波の破壊力のすさまじさをまざまざと実感させられた。一方の石巻では、旧門脇保育園において、まじめに毎月の自主避難訓練を行っていた保育士の方々が、大震災時で預かっていた園児20人の命を救ったというエピソードには、大変感銘を受けた。2km先の保育園への園児を連れての避難訓練は、かなり苦労すると思うが、それを毎月継続した保育士の方々の忍耐と情熱とまじめさには、深く敬意を表する。

 今後は、今回の石巻旅行を皮切りに、いろいろな東北地方を旅したいと思う。


参考文献
[1]2014/10 後藤洋三「石巻市門脇・南浜地区の事業所と住民の津波避難行動」土木学会第34回地震工学研究発表会講演論文集

[2]2022/9/4 保育安全のかたち「アーカイブ:「焦点/保育所、津波襲来で明暗/犠牲少なく…」

[3]石巻南浜津波復興祈念公園HPの英語ページ"Former Kadonowaki Nursery School"

[4]石森萬画館ホームページ「萬画館について」

 

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